出荷へ、高級ウニ
港へ到着し、早速、ウニを市場へと運ぶ、
この時点で朝6時を少し過ぎた頃だ。
そこは海区により、大まかに2つの市場に分かれている、
ひとつは本州最北端の東側になる「下手浜市場」、
そして西側になる「割石市場」である。ゲンさんは秤に本日の収穫を乗せ、ちょっと残念そうだ。
「最初は100Kg以上獲れた日もあったが、今日は20Kgだ」と。
そうして出荷されたウニは船ごとに、
ケースに入れられて、並べられている。
ここの市場だけで、約150ケース。
中には2ケース、3ケース獲る船もあり、200Kgという大漁の
船もあるという。この日は、ここだけで約4トン。
もうひとつの市場でも同じだけ獲れるというから、
今日一日だけで、大間の海から
8トンのウニが消えた事になる。
大漁だった年には毎日10トン以上も獲れ続けたらしい。
ウニ1個を割って見せて貰った。
真ん中の白い部分が歯や口であり、すぐ胃袋だという。
そして、プリプリの黄橙色が「ウニの身」と呼ばれる卵巣である。
水温が揚がると、「チ(乳)」と呼ばれる白い精子が増え、
夏には卵巣と精子を吹き出し、大間の海が真っ白に濁るのだという。本日のゲンさんのウニは、キロ当たり1600円の好値だったらしい。
朝の数時間とはいえ、厳寒の沖で、本日は約3万円の収入。
それは1人ではなく、家族共働きで危険な海で得た収入。
自宅でウニカゴの修繕をしながら、ゲンさんは私に、
「ウニを食べてけ」と言った。
私の為に、ウニを全て出荷しなかったのだ!
奥さんが、身だけ残した殻付きのウニを
「スプーンで、すくって食べせ」と出してくれた。
星形に5つ並んだウニの身が、うれし涙でかすんだ。
大間のウニは箱ウニとして、航空便で出荷され、
築地から、お寿司屋さんへと流通される。
プリッとした甘〜い、とろけるような味に、
舌鼓を打つ多くの人は、そんな大間の漁師の事など知らないだろう。
私は都会に戻って、ウニを見たら、きっとゲンさんを想い出す。
それは間違いない。そして大間でも
「ノナカゴ」と、呼ぶのは高齢者ばかりになって来ているという。
それは時代の流れ、「ウニカゴ」と呼ぶのが定着する日も近い。
しかしゲンさんは、それでもいいという。
自分は漁師として精一杯、生きるだけだと
今度はどんな漁があるだるだろう。そう思いつつ、
ゲンさんに見送られ、フェリーで大間を後にした。
小さくなっていくゲンさんと、大間の町に「ふるさと」を見た。