6月19日/津軽海峡横断・縄文チャレンジの日
「縄文チャレンジ」って言葉。勝手につけましたが、次回もこれでいこう!(次回はあるのか) チャレンジの朝。漕ぎ手チームトップは、もちろん大間アイアンマン・チーム。南茅部町の「北の縄文クラブ」のふとたちが作ってくれた縄文服。はまっとります。この時から報道陣に囲まれて、すでにヒーローはいっとりました。 赤灯台のところで旗ふり。朝5時だというのに、大間のふとだぢもけっこう集まってくれとりました。リョーイヂは伴走船に乗り込み、縄文舟といっしょに出発。タラコとわいは、「架橋を考える会」チャーターの特別クルーザーに乗せてもらい、縄文船団に近づいたり離れたりしながら、先に津軽海峡を渡る手はず。私たちとは別に、みちのく銀行の超豪華っぽい大型クルーザーが、船団にネットリついてきていました。 報道のヘリもいなくなって、静かな海。ひたすら漕ぎつづける縄文舟。10隻の伴走船がそれを取り囲み、見守り、励ます。なんか胸がキュンとする光景でございました。ほんとに穏やかな海。青い空。神さまのおかげ。 ぐわんぐわんと揺れる特別クルーザーの中で、キーボードを打ち続ける女タラコ。超人的な底力を、まざまざと見せつけました。伴走船と携帯でやりとりしながら、公式サイトに実況レポートを書き込みつづけたのでした。 午後2時ちょっと前。「函館21の会」の人たちが用意してくれたポンポンを手に、300人以上の人たちが舟の到着を待ってました。戸井漁港。目の前に「ムイの島」があって、背景は山の緑。やさしい仏ケ浦って感じで、とっても美しい港なんですよ、これがさー。報道のヘリの音に驚いたカモメが、ムイの島からいっせいに飛びたったまさにその瞬間。灯台の間から縄文舟が港に入ってきたわけですよ。たまらん風景でした。戸井のかっちゃたちも泣いてました。タラコは岸壁に座りこんで、やっぱり実況レポートを打ちこんどりました。 救護船に乗って9時間の旅をしてきたリョーイヂ。お疲れのため、垂れ目の角度がひどくなっとります。実はこのタフな男。この縄文チャレンジの細かい手配とか交渉とか段取りとかを、ずーーっとやってきたのです。こういう職業、確かあったよな〜と考えてみたら、あった!あった!テレビ局のADみたいなもん? |