地域生活応援誌:JUNTOS(フントス)リレ-連載
@JUNTOS:47号掲載@
りゅーたの「おもしろがる心」
おもしろがる心
「マグロのぼり作るべよ!」組長をはじめ、あおぞら組女子部(別名:B組えちごや)の満を持しての企画。
2002年、世の中はFIFAワールドカップに沸き上がり、キリンビールから日本応援『勝ちT』プレゼントキャンぺーンが行われていた。ならばとあおぞら組が世に送り出した大間T、今ではすっかりあおぞら組の顔となった『マグロ一筋てーしゃっつ』。「残ったら…」の不安を抱えながら作り続けて3年目、2004年アテネオリンピックに大間町出身の泉選手が柔道男子90kg級に出場が決まり、大間町応援団のユニフォームとして採用してもらった。泉選手は順調に勝ち進み見事銀メダル獲得。マグTを着た応援団の姿は世界中に放映され、マグTは大ヒットした。このことが追い風となり、かねてより夢にみていたたマグロのぼり製作を実行に移すことになった。
女子部が構想を練り形が見えてきた頃、1セット(吹き流し、父マグロ、母マグロ、子マグロ)で20万円もするものがはたして売れるのか?男子部の不安をよそに、2006年1月11日大間町で行われる漁師の祭りお舟玉様の祈祷の場でお披露目となった。このとき、漁師からは「痩せだマグロ」「ししゃもみたい」などといた声があったものの、「わらさんど(子ども達)よ!マグロのように世界の海に泳ぎ出せーい!」の願いの込められたマグロのぼりは、マグロ漁師を中心に少しずつ普及していき、試作品は被り物「マグのぼ星人」と形を変え、後の活動に欠かせない存在になる。
マグのぼ星人、旗ふりウェルカム活動中
自分は、大間生まれの大間育ち、職場も大間。しかし、今は大間から車で1時間離れたむつ市に住んでいるため、当然子どもはむつ市にある希望の友保育園に通っている。
ある日園長に「マグロのぼりの歌作ってるから」と言われ、保育園でマグロのぼりを購入したことに気付く。この歌がマグロのぼりの公式ソングになった。歌には振付もあったので歌詞と一緒に振付も載せることになり、当時保育園に通っていた我が子がモデルに。子ども達はかなりノリノリで、これを機に人なつっこく好奇心大盛の子ども達と一緒にあおぞら組の活動に参加していくことになり、この保育園では行事のたびにマグロのぼりをあげてくれ、歌も振り付きで歌ってくれる。もしかしたら、この保育園に行っている子どもは鯉のぼりを知らず5月5日はマグロのぼりの日になっているかもしれない。
マグロのぼりがある程度認知されてくると“欲しいけど買えない”人の声が耳にはいるようになり、ミニマグロのぼりのグーちゃんとろーちゃんが誕生する。ただのミニバージョンでは物足りないと、値段は縁起を担いで末広がりの八千八百八十八円、お腹部分には購入者の希望する文字をいれ、更に10月に開催している「おおま超マグロ祭り」会場で泳がせ、たっぷり潮風を染み込ませて発送することにした。この年100匹を越えるミニマグロのぼりがマグロ祭りに花を添えてくれた。
あおぞら組の主力活動の一つに「旗振りウエルカム活動」と言うものがある。これはあおぞら組という名前の由来となったNHK朝の連ドラ「私の青空」で、父がフェリーで旅立つ娘を大漁旗を持って見送るシーンから、観光客等に対して歓迎や再来の思いを込めて行っている活動である。
ある旗振り活動に子どもがついてきたときのこと、姉にマグのぼ星人を着せ、弟にはろーちゃんを持たせた。フェリーの到着を待っている間じっとろーちゃんを見つめていた息子が「ねぇとーちゃん、これどうやって着るの?」と聞いてきた。どうやら マグロのぼり=着ぐるみ と思っていたらしい。
マグのぼ星人(姉)と、結局ろーちゃんを頭に被った弟
自分達が「おもしろい」と思えることをしていれば、きっと他人も楽しんでくれるはずという勝手な思い込みでやってきた。そんな活動に、興味を持った人がIターンしきたり、大間町から上京した人たちによるTGC(東京ぐだめぎクラブ)といった支部的なものができたりと仲間の和は広がっている。おそらくこれまでやってきたことは失敗はあっても間違いは無いと思える。
面白いと思ったらとにかく行動に移す島康子という強力な引力に引きつけられて、周りの人間を巻き込み色々なことをしてきたあおぞら組も結成からもう10年になる。これからも更なる野望を持って、マグロのように大間から世界へ向けて「おもしろがる心」を広げていきたいと思います。