地域生活応援誌:JUNTOS(フントス)リレ-連載
@JUNTOS:49号掲載@
「私の青空」
「空があんまりにも青かったので、人生変わりました」
なんてことを真顔で言う人がいたら、みなさんは「この人、大丈夫?」と思われるかもしれません。
でもこれは、比喩でもなんでもなく、本当のことなんです。
あのとき、空があんなにも青くなければ、今とはまったく違う生活をしていたことは間違いありません。
今日はちょっとそのときの話をさせてください。
”あのとき”とは、今から9年前。2000年の夏です。
お金がもったいないから帰省もめったにしなかったので、その年の夏に居合わせたのは本当に「偶然」でした。ただ、その当時すでに「大間で何か面白そうなことをやってるひとたちがいる」ことは知っていました。知っていたどころか、わたしは、あおぞら組の東京支部である「東京ぐだめぎ倶楽部」のメンバーですらあったので、その日にお呼びがかかるのは「必然」だったのでしょう。
それは「フェリーのお客さんにむかって旗を振る」という、ずいぶんと捨て身、というかメグセー(恥ずかしい、の意)というべきか、あんたらホントによくやるよ的な活動だったのですが。
そのとき、かなりわたしは楽しみました。
大声なんか何年も出したことなんてないし、頭にはタオルでねじり鉢巻までしています。途中で自分の中の「恥ずかしさメーター」みたいなものがふっきれて、かなりハイな状態にすらなっていたはずです。このときは旗振りウェルカム活動が始まった年で、フェリーから降りてくるお客さんの表情はかなり怪しいものを見る風で、それでさらに悪戯心が満たされました。
函館に向かうフェリーにも旗を振り、帰りに食堂で冷やし中華かなんかを食べて、西吹付山の展望台に登ってと、その日のことは「ちょっと風変わりな夏の思い出」になるはずでした。
そして都会に戻ったら。
青い空が目に焼きついて離れなくなりました。
いつまでもいつまでも、「夏休みにフェリーに旗を振ったとき」の高揚感が抜け切れませんでした。秋になっても、冬になっても大間の青い空と海とびゅーびゅー吹きつける風が自分の中でやみませんでした。
「こりゃちょっとサトゴコロついちゃったかな?」と思いました。
春になる頃には、すっかり心は決まっていました。
そして2001年の初夏に、わたしは「もう戻ってこない」つもりの故郷に帰ってきていました。
見るものすべて鮮烈な美しさにあふれ、フェリーから眺める大間はまるでジェノヴァだし、やることなすこと面白くてたまらないわたしは、すっかり頭のタガが外れ、何かにとりつかれたように絵を描きはじめました。それも今まで好んできたキレイキレイしててオサレ感覚あふれるようなものとはまったく異なるテイストのものです。
そのときのイラストは「君も旗振りをしてみないか?」というチラシやポスターとなり、そして現在はあおぞら組の名刺の中で「よぐ来たの~!」とウェルカム活動をしています。もうひとつは「マグロ一筋」テーシャッツとなって現在まで販売が続いています。
そしていつまでも新鮮な気持ちを失わず、おもしろがる心を忘れず、元気に暮らしましたとさ。と、終われれば良かったのですが、そうは問屋がおろしませんでした。
もうちょっとこの話は続きます。
わたしの最大の弱点は「忘れっぽい」ということです。
それほど感動して、人生が変わるくらいの衝撃を受けたにもかかわらず、いつしかそのことすら忘れてしまっていました。自分では忘れていないつもりでも。
そのことに気づかされたのは、昨年、東日本フェリー(当時)の大間-函館航路廃止報道があったときです。
発表があってすぐに、あおぞら組では航路存続に向けた活動をはじめ、まずはTシャツ(大間の発音ではテーシャッツ)を作って、存続の訴えを大きな声にし、存続活動の資金とし、あわよくばテーシャッツの売り上げでフェリーの赤字を埋めるべよ!(これはまぁ、それぐらいの覚悟でという意味で)ということになりました。
どれだけわたしたちが大間-函館航路を生活の基盤とし、頼りにしているかをデザインで訴えなければなりません。
結果から言えば、わたしはそれだけ大切な、自分の身にも関わることなのに、満足なものを仕上がることができませんでした。テーシャッツの背中には、わたしがUターンしてきた当時、熱にうかされるようにして描いた「よぐ来たの~!」と対になる「へば、まだの」のイラストが、文字だけ「なぐすなぢゃ!」に替えてプリントされました。
これはショックでした。
10年近くも前の自分のほうが、よっぽどエネルギーもあったし、面白かった!確かにテクニックは上達したけど、最近は、自分の中から湧き上がるイメージに任せて創作活動をするなんて、とんと無くなっていました。手癖だけで作業をしている状態。仕事は次々こなさなきゃいけないから身体は働いてるんだけど、心は動いていませんでした。おそらく。
それが去年の冬のことで、この春は、あおぞら組のホームページ『なまなま大間通信』の大々的なリニューアルにかかりきりでした。2000年の開設ですから、作業はまるで遺跡の発掘作業のようです。そんな中、古いデータの中に昔の旗振りウェルカム活動のレポートと写真を見つけました。
あのときの空でした。
ちょっと泣きました。
今、わたしの机の横には、そのときの写真が貼られています。
毎日目にしているから、今度は忘れないとは思いますが、念には念を入れてこの文章を書かせていただきました。
大間にお越しになった際、あおぞら組の活動にふれる機会などありましたら、そのウラではこんなヤツが伸びたり縮んだり有頂天になったり自己嫌悪に陥ったりしながら、それでも何とか「まちおこしゲリラ」の活動を表現するためにイロイロやってんだなぁと、チラシの1枚でもご覧になっていただけたら、うれしいです。