*2001~2002年に登場した来さまいびと *
不測の事故によりデータが消失し、ところどころ画像がない部分があります。ごめんなさい~ 。
「田舎」が好きなのに、東京生まれ東京育ちの自分には「田舎」がない!
と「田舎」を求めて旅をしていた少年が、7月始め「一流の田舎」をめざす大間にたどり着いた。若者が凶悪な事件をおこしている昨今、同じ世代の自分は知らない土地でどの様に見られるのだろう?と不安な気持ちで降り立った大間は・・
そりゃーもう優しかった!!
コンビニでおにぎり貰っちゃったり、写真やでインスタントカメラ安くして貰ったり、最初は「あやしいぞ!?」と見ていた子供達とも友達になれたり・・・。出会う人々はみんな優しく迎え入れてくれた。「大間大好きだ~!!また夏休みに来ます!!」と言い残し少年は東京へと帰って行った・・・。
翌月、大間の祭りが始まると同時に少年は帰って来た!!「どうも、覚えていますか?」と店に入ってきた少年はどっから見ても大間のふと!?仁和賀山のハッピを着て頭には捻りはちまき!!前日、フミ大工さんに拾われた少年はその日から三日間お祭り三昧、すかり『どっとこ』のかけ声も板に付いてきた。
「ぇんやこらーどっこい!よ~いどっこ!よ~いどっこぃな~!えんや!!えんや!!えんや!!」
少年、もう大間は君の『田舎』だよ!来年も帰ってきせの~。じじも、ばばも、おばちゃんも、にいさんも、みんな待っているしての~。
「このカマがどうなるかって?
さーねえ~はっはっ!
泊まってみれば、わがるよ」
こちら、超・照れ屋のご主人。無理やり写真を撮りました!
マグロ目当てにやってきてくれるお客さんを、何とか喜ばせようと
がんばっています。運がよければ、食堂の横で
マグロを解体するシーンが見られますよ。
3食丼*1500円
これは、大間マグロ&ウニ&イクラバージョンですが
トッピングはお好みで変えられるのです。
た、たまら~~ん!たらこ、3食丼をむさぼり食うの図。
この幸せそうな笑顔を見てくだされ!
【民宿「海峡荘」】0175-37-3691・5223 1泊2食付き6500円~ ◎食堂もあります!ホームページはこちら!
青森を離れて、はや10年。仙台に根付いて、まる7年。なかなか実家の青森にも帰ることがなくなってしまいました。
母が大間出身で親戚も多く、夏休みといえば「大間と海と花火」でした。母の実家は、「中島湯」で親戚の小中学生のいとこ一同が集まるのが恒例行事でした。まずは、青森から大間に行くまでの車中で野性の猿を見るのが楽しみで峠を越えるともうすぐ大間だ!ってわくわくしたりして。みんな集まると、朝は湯っこやの掃除をし、天気がよければ浜で泳ぎ、帰ってくると、夕方まで昼寝。「昼寝しないと花火に連れて行かない」・・・っていわれて、湯っこやの2階で、いとこ達みんなでねてました。
その後、算数のできる子供達が湯っこやの番台にたち、夜になると、墓所での花火。先祖代々の墓石に、ドラゴンを並べ、その周りで花火をしました。毎年繰り返されるその光景に相当大きくなるまで、墓所で花火をするのは全国共通で当たり前だと思ってました。でも今思うと、青森出身の父方の墓ではやってなかったんですよね。何でそう思っていたのか不思議。それくらいインパクトがある思い出だったに違いありません。
TVとか、実家からの電話で大間の話題を聞くと、あのころが懐かしくなって、子供に戻って大間で花火したい!って思ってしまいます。このHPも「私の青空」がきっかけで見るようになりました。もちろん、大間弁も読解可能です。今では両親ともに、大間に行く機会が少なく、湯っこやの伯母、一子母さんが青森に来ることが多くなりました。
もしも、大間に行くことがあったら、温泉ももちろんいいですが、古ぼけたなんの特徴もないただの銭湯ですが、うちの一子母さんが小さい体で薪を炊いて湯っこ沸かしてますので「中島湯」、寄ってみては?
私の代わりに一子母さんに会ってきてください!
6月19日の朝5時。9隻の伴走船に囲まれて、
縄文舟が大間港を出ていきました。
漕いでいたのは、大間アイアンマンチーム。
北大チームと交代するまで、リズミカルに約2時間を漕ぎつづけました。
このスタートダッシュがきいて、津軽海峡渡航作戦は
予想より1時間も早いペースで成功することができたのであります!
写真の笑顔で、戸井の汐首岬に到着した5人。
取材陣に囲まれちゃって、すっかりヒーローでやんした。
「わいどだげで、まっすぐ漕いで行げそうだった」と
でかいことを語ってくれました。
ああ、ほんとに、感動しちまいましたよ。
練習の様子。いかにもアイアンマンが、縄文の舟と妙なマッチング。