なぐすなぢゃ!守れ!大間函館航路

まんずは組長・島康子から


国土交通省東北運輸局発行の「交通運輸ネットワーク東北 2008.7」に
寄稿させていただいたエッセイです。

このフェリーがなければ「わいは、わいにはならなかった」という話。

フェリーと旗振り


ここがはじまりの地

 しゃがむと、おパンツ丸出しのスカートを履いていたガキの頃。
岸壁が、私たちの遊び場だった。堤防の先にある真っ赤な灯台
の回りを、いつもチョロめいていた。
何して遊んでいたのかは、全く思い出せない。潮風に当たってい
るのが気持ちよかっただけかも知れない。遊んでいると、たいて
い港にフェリーが入ってくる。津軽海峡をはさんだ対岸の函館か
らやってくるフェリー。私たちにぐんぐん近づいてくる。
「あ、きたきたっ!」
ひとりが叫ぶと、みんないっせいにフェリーのほうを向いて、甲板
のお客さんに手をぶんぶん振る。そんな私たちを見つけたお客さ
んは、急に笑顔になって手を振り返してくれる。
「やったぁ!やったぁ!」
たったそれだけのことがうれしくて、私たちませガキだちは、
いつもいつもフェリーに向かって手を振っていた。

 新しいものは、いつもフェリーとともにあった。フェリー・ターミナ
ルの2階の食堂は、町いちばんの洋食レストランだった。イガの
刺身だ、ウニてんこもりだと、魚にまみれていた毎日。この食堂
で、ご飯とカレーが別々に盛られてくるカレーライスとか、ポーク
ソテーとかチョコレートパフェとかを食べられるのは、ませガキの
至福のひとときだった。フェリーからは、体と同じぐらいドでかい
リュックを背負ったにーちゃんねーちゃんがわらわらわらわらと
降りてきた。ジジが「カニ族だ」と言っていた。
カニ族のおにいちゃんに道を教えてあげたら、お菓子をくれた。
毎日毎日、なにかと言えば港に行っていた。

 そんな私が急に息苦しくなったのは、陸を見るようになってから。
この大間は「最果て」だと言われ「僻地」だと言われ、逃げ出した
くなった。いつしか私は、目の前にあった海峡を忘れ、ふるさとを
自分のなかから消し去って、都会の女になっていった。

 「私の青空」。内館牧子さんの脚本で平成12年春から放送され た、
NHKの連続テレビ小説である。大間のマグロ漁師の家に生まれた
主人公なずなが、シングル・マザーと
して力強く生きていく姿が描かれた。このドラマの中で、田畑智子
さん演ずるなずなが新しい一歩を踏み出すため、大間から東京は
築地に出発する場面がある。なずなが乗り込んだのは、フェリーだった。
みんなが見送りに集まるなか、東京行きに反対していた父親だけが
姿を見せない。父親役は伊東四朗さんだ。
おどさん(お父さん)と心が離れたまま出発してしまうなずな。大漁旗
を振りながら、みんながなずなを見送る。そしてフェリーがゆるゆる
と岸壁を離れ赤灯台に差しかかった時。そこには、おどさんの姿が!
この別れのシーンに、朝っぱらから日本中が涙した。
ドラマのあとを引き継ぐニュースのアナウンサーの目までがウルって
いたのを、私は見逃さなかった。ここから、どんなところへも行ける。
ここから、どんなことへも挑戦できる。海ははじまりの象徴だった。

 放送当時、私は都会の女をすっぱりやめてUターンしていた。
大間での生き方にどぶどぶとハマっていた。道路の呪縛に囚わ
れていた陸での価値観から抜け出し、目の前の津軽海峡を見る
ようになっていた。海が私の心に、とてつもないエネルギーをくれ た。
ドラマの撮影のため、ロケ隊が大間の町に入ってきた時。
むずむずしていた心に火がついた仲間が集まった。
自分たちのアイディアでできることを、怒濤のようにやっていぐべし!
「私の青空」がきっかけだから、「あおぞら組」だぁ!と、
まちおこしゲリラ活動をスタートさせていた。
ドラマのあの別れのシーンみたいに、フェリーのお客さんさ大漁旗
振ったらどんだべ。名づけて「旗振りウエルカム活動」。フェリーが
到着する時間に合わせて、頭には漁師手ぬぐい、大漁旗を持って
岸壁に集合。フェリーが港に入ってきて、甲板に出ているお客さん
が見えるぐらいになった瞬間。
「よーぐ来たの~!」「よーぐ来たの~!」と叫びながら大漁旗を
ぶんぶん振る。フェリーが函館に帰っていく時は、
「へばの~!」「へば、まだの~!」と声を出しながら大漁旗を振る。
フェリーが小さく小さく見えなくなるまで、振る。
お客さんの笑顔がうれしい。ませガキの頃がよみがえってくる。
腹から出す声が気持ちいい。笑顔になってる自分が気持ちいい。
ギラギラしている海の青が気持ちいい。潮の風が気持ちいい。
この海は、世界とつながっている。なんも、おっかないものはない。
こっからなんでもでぎる!

ここは、はじまり!私のふるさと

(2008.9.14)