あおぞら組って何だ?

2002年のあおぞら活動日誌

2002年1月25日/かっちゃ軍団とのジョイント活動はじまる!

なんだかバタバタしてて、日誌つけるのもサボってましたわ。
あおぞら組の2002年。しょっぱなからディープな活動が行なわれておりました。べごもぢづくり の自称・かっちゃたち(平均年齢70ウン才)と、イカレあおぞら組(平均年齢31.7才)がタッグを組んだ大間の特産品PR企画が動き出していたのです わ。ババと孫を組ませたら、おもしろいごっとになるかも知れんという、役場農林畜産係の陰謀ですわ。その第一弾として、乗り込みました!ああ、乗り込みましたとも青森の観光物産館・アスパム!
@青森アスパムでのイベント参加の様子@

2002年3月16日~17日/オホーツクの小清水町を襲撃!

とにかく、小清水(こしみず)町の青年会が、私たちを呼んでくれたのだ。ウソでないよ。あおぞら組のゲリラ活動について話してほしい、ということなのだ。だから、ウソでないってば。たらこと私で行って、かましてきました。テーマがすごいぞ!「一流の田舎と心の豊かさの追及~地方発、発想の転換から生まれるもの~」。

小清水は、網走のすぐそばにある気球の町、玉ねぎの町。冬場は雪に覆われる広大な畑を利用して、気球を飛ばしている。地上に降りるときに、雪があるとクッションになって都合がいいのだ。気球が着地したところまで、ものすごい勢いのスノーモービルがやってきて、回収してくれるというわけ。残念ながら気流の状態が よくなくて、私たちは乗れなかったんだけど。これも、日頃の行ないということか。小清水では、玉ねぎを数えるときにゃー1個、2個じゃない。1基、2基と コンテナ単位で勘定しちまうダイナミックな農業なのだ。そんな農業や酪農を担っていく気のいい若者たちとの出会いがありました!

@ヤッコとたらこの小清水町・襲撃の記録@

2002年3月18日/隣村の風間浦(かざまうら)げんき館で講演!

小清水から帰ってきた翌日。な、なんと隣村の社会福祉協議会に声をかけてもらって、話しをしてきました!福祉関係の活動に関わっている村のかっちゃたちが中心に集まってくれました。

テーマは「ひとのため まちのため 自分のため---なんでもありのゲリラ活動」。「ひとのため まちのため 自分のため」は、むつのまちづくり倶楽部の工藤代表がおっしゃってた言葉。すんません、パクリました~。担当の社協のケーイチが、役場に講演を知らせる村内放送をかけてほしいと頼んだときに、「ゲリラ 活動」っつー言葉はちょっとな~と言われたらしい。放送はかかったのだろうか。

@参加してくれたみなさんの大きな画像@
おべでらふと、いませんか~

2002年4月19日/縄文船P実行委員会が、大間にやってきた!

縄文時代の手漕ぎ舟で津軽海峡を渡るど!プロジェクトが進行していることを、知ってる人は知ってると思います。正式には「津軽海峡縄文ロマンロード実証事 業」という名前がついている。かっちょいいべ?戸井町・大間町を中心に、渡島支庁やら南茅部町やら北大水産学部やら函館の民間グループやら新聞社やら、とにかくいろんな人たちが力を合わせて、その日6月19日に向けて走っているのであります。このたび、あおぞら組も仲間に加えてもらい、暴れる機会を得るこ とができたのであります。

4月19日。その実行委員会がいよいよ大間で開かれました。しょっぱい川を渡ってやってきたご一行さまをお迎えするのは、やっぱりアレしかねーべさ、ということで、旗ふり隊臨時出動!!あおぞら組のパワーと気合いを、まざまざと見せつけることができた(かな?)。

@縄文ロマンロードな人たち、ほんの一部@

2002年7月21日/ほんとに竹中さんが来ちまった日!

思いかえせば1年前。青森での小泉内閣タウンミーティングの席上で、竹中大臣はこうおっしゃった。「私は、大間に行ってみたくなりましたよ」と。酒の勢いならぬ、タウンミーティングの勢いだろうと思っていたら、内閣府の人からマジで行きますよ、という電話がかかってきたのでありました。「一流の田舎」への取り組み状況についての対話&視察。や、やばい!何を語ればいいのだあああ!何を見せればいいのだあああ!
@その一部始終・ノーカット完全版@

2002年8月20日・21日/脇野沢(わきのさわ)村を味わいつくしましたぜ!めっこりと!

「脇野沢に来てほしい!むらおこし委員会の人と交流してほしい!酒を飲んでほしいから泊まってってほしい!でも日程は変えられません」そんな話でございました。うっ!痛い!同じ下北半島でありながら、ただの一度も脇野沢に足を踏み入れたことがない私の弱味を見すかしたような、役場ヤマザキの強気なアプローチ。同じく、脇野沢バージンのたらこinカマヤといっしょに、行ってみることにしましたわよ。そうは言っても、わいは自分の運転でむつ市までしか行ったことのない「むつまで運転手」。一方たらこも、超デンジャラスな暴走初心者。異様な緊張感のなか、わいどは出発したのでありました。(写真はかの有名な鯛島。この島でジャズコンサートをやったこともあるらしい。かっちょいいよな~)
@脇野沢ってところはよ~@

2002年9月14日/リベンジなCM撮影、決行!!

大 間町内某所において、こそこそと撮影ぶっかましました。青森朝日放送主催の「ふるさとCM」。大間のテレビには入らない放送局のコンテストに、なんでわい どがこれほどあっつぐなるか!それは忘れもしない去年の12月15日の審査会。どっから来るんだその自信はよ~状態で臨んだわいどは、あっさり玉砕。この ままで引き下がる訳にゃーいかんのです。絶対、賞にからむ。いや、賞にからまなくても、コンテストに一石を投じるようなCMをつぐる!!微妙に目的も変わ りました。だってさー、審査員よりわいどの感性が先いってるんだもの。しかだねーべさ。相変わらず、どっから来るんだその自信はよ~状態のあおぞら組。コ ンテストなんで、いま、その全貌は明らかにできませんが、ぶりぶりご期待ください!

あとは上映審査会のとぎに、りょーいぢがダニエル・カールさんの横で、どうかましてくれるかだけでしょう。って、わいど編集も終わってねーのに。

昨年の作品は、こちら↓で見ることができます。
青森朝日ホームページの「ふるさと自慢わが町CM大賞」コーナー

2002年9月26日/青森県内の商工会議所のふとの研修で講演!

むつグランドホテル。ちょいとパッツンパッツンの日々が続き、さすがのわいも体調不良でござんした。1階のティールームで、腰に手を当てながらリポDスーパーを注入。商工会議所な人たちの研修会場におんじゃまして、「あおぞら液」の注入活動を行ないました。
<注釈>あおぞら液
あおぞら組員のゲリラ活動誘発エキスを絞り出した液体。最近量産化に成功した栄養ドリンクの一種。

言われました。あおぞら組のことを話しているとき、目がギラギラしてるって。どんなふうにギラついてんのか、自分でも見てみたいですわ。

@参加してくれたみなさんの大きな画像@
あおぞら液、注入後の様子

2002年11月3日/大間町の発展に貢献した団体として…

町長からあおぞら組宛に郵便物が届きました。ん、なになに?『貴団体が推挙されました』って、推挙ってなんだ?なんだ?いきなり辞書で調べてしまいましたわよ。それは、大間町が町になってから60年っつーことを記念して、町の発展に貢献した人や団体を表彰してくれる、って話らしい。ほいで、な、なんと、わがあおぞら組も「推挙」されたのでありました。やるな~大間町!ゲリラを表彰してくれるなんて、太っ腹イエーイ!

ということで、行ってきました表彰式。ゲリラらしく、派手に紙吹雪でもやったほうがいいべが…ちょいと魔がさしましたが、会場が引くような気がしてやめました。やめて正解だったあ。ほーっ。あおぞら組、これからも精進いたします!

@どらどら、感謝状さナニ書がさったら?@

2002年12月8日/リベンジな乗り込み!青森朝日「ふるさとCM大賞」

「わり~けどさ~、こどし、賞さ入ねがったら、CM大賞がらは撤収だよ撤収!!」ここにきて、なんかヤケっぱちだぞあおぞら組。応募作品を送ってから1カ月あまり。よっしゃーー今年はいただきだぜ!のブイブイ強気の日があるかと思えば、やっぱりダメかも…の弱弱の日もあり。いずれにせよ、今日、決着がつく!賞に入らないのにわざわざ青森まで行くのは、かったりーよな~ということで、さりげなく忘年会を絡めたりして。なんだよ、やっぱり弱気じゃん、のあおぞら組 なのでした。

ほいで?ほいで?